cd8b8dd4.jpg当作品の他にも、『砂の上のロビンソン』という傑作を世に遺し、数年前にお亡くなりになった上野瞭さんの作品です。
1989年の作品なので、もう単行本では手に入らないかも知れませんが、古書店等で見かけたらぜひ手にとってみてください。

上野さんの作品には、「甘さ」がまったくありません。
この作品では、家庭も仕事もあるごく平均的な働きバチ中年男性が、突然妊娠する、という奇想天外な物語を格にして、家族とは何か、家族の中で生きるとはどういうことなのか、男とは何か、女とは何か、そして、戦後とは何だったのか、と、まるで嵐の海のように押し寄せる様々な「人生への疑問」を浮かびあがらせ、光をあて、影をつくり、渦巻く疑問の中に読者をおぼれこませて、読者ひとりひとりなりの「答え」にすがりつかせる、そんな厳然とした構造を持つ作品です。
とは言え、小難しい描写はひとつもなく、ごくごくありふれた日常の一コマ一コマが、あくまで丹念に描かれます。

けれど、「男が妊娠する」というファンタジーにありがちな、高揚感も、感動も、安易な理解も用意されてはいません。妊娠する男はありふれた五十男で、美しくも気高くもない。つわりに苦しみ、大きくなる腹部にいらだち、愚かな言動を繰り返します。その家族もまた、安易に夫をいたわったりはしません。娘、息子、妻、と、それぞれの人生にめいっぱいで、奇妙な行動を繰り返す父親もしくは夫に戸惑い、違和感を隠しません。会社の同僚もみなそれぞれの日々に埋没して主人公にかまっている暇などなく、冒頭から現れる「彼を妊娠させたものの象徴」としての浮浪者は変態で(^^;、ものすごくおぞましく描かれます。
さらには、「彼が妊娠しているもの」とリンクする、彼の叔母の存在。彼女は目も見えず寝たきりで、言葉を発することもできず、老人医療施設に投げ込まれて、四肢をベッドに縛りつけられてひたすら夢だけを見ています。

誰もかれもが不機嫌で怒りっぽく、自分のことしか考えず、無理解で、不親切で、そして切ない。
さらに、上野さんは、昨今のエンタテイメント小説には不可欠とまで言われる「キャラ立ち」さえ否定しているかのように、どのキャラもみな一様に同じ文体でセリフを喋らせます。「〜ね、〜ね」という口癖まで一緒。方言もなく、年齢や性別すら「  」の中だけでは判別できないほど、あえて、キャラから「物語の中での個性」を奪い、すべての存在に、「現実の何か」を投影し代表させます。

これこそが上野瞭の真骨頂なのだと思います。エンタテイメントでも純文学でもない。読者にも「作者自身」にも甘えをゆるさず、媚びない。
有り得ない設定で構築された、堅固なリアリティ。
読者は夢見るように読み進むことをゆるされず、絶えず立ち止まって考えさせられるのです。

この作品を読んで、何を考え、どう感じたか。おそらくは読み手ひとりひとりすべて違う感想を持つだろうなと思います。
けれど、たったひとつのことだけは、上野さんからの強いメッセージとして心に刻まれるはずです。

男であれ女であれ、人はすべて「人」として、この世に生まれて来た、唯一無二の存在なのだ、ということ。その命の重さは、理屈ではない。絶対、なのです。
父親が誰か母親が誰かとか、どうして生まれたかなど、生まれた命にとっては、些細な問題なのです。
生まれた命は、たった一度しかない生を、ひたむきに一度だけ、生きる。それでおしまいなのです。

命の尊さとは、「他にかえるものなどない」、ということを、今一度、噛みしめたいと思います。

上野 瞭
新潮社
ISBN4-10-366002-3
1400円+税